旅順口区日露監獄博物館

元大連在住の友人が、昨年旅順を訪問した際に旅順口区日露監獄博物館を見学してきたようです。 その報告を送ってくれましたので、紹介します。 旅順は良港が故に、歴史的な事件が多い所だったのですね。 (写真をクリックすると拡大します)

昨年、旅順の日露監獄旧址(博物館)に行ってきました。日露戦争勝利後にロシア監獄を接収し拡張(日本植民地たる)満州や朝鮮への反日抵抗者(犯罪人に限らず)を収監していたようです。当時は「関東庁監獄」「旅順刑務所」と呼ばれました(以下、大連市観光局情報センターより抜粋)「大連市旅順口区に位置する日露監獄旧址(博物館)。1902年ロシアにより建築、1905年の日本侵略後の1907年、日本が施設拡張し完成させた。面積26万m2、牢獄275室、2000名余を拘禁できる。医務室、拷問室、絞首刑室や工場が併設され、監獄外には22.6万㎡の果樹園、野菜畑があり、収監者を強制労働させた。中国、朝鮮、日本、ロシア、エジプト人など反日抵抗者が拘束、殺戮された。1945年8月ソ連軍の旅順進駐により監獄は解体されたが、1971年7月監獄旧跡として修復、博物館として開放された。1988年国務院は日露旅順監獄旧跡として重要文物保護財に指定した。建物は「大」字形の放射状、灰色煉瓦はロシアの建築、赤い煉瓦は日本が拡張したものである。牢獄の2階廊下の床には鉄格子を付けた吹き抜けを配すことで、監視の容易さ、外光取入れ、空気の流れに配慮したものとなっている」ということです。場所は旅順駅北東の街の外れ、東鶏冠堡塁のそばにあります。 

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日露監獄旧跡の正面本館です。ロシア建築。 

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GoogleMapで全体を見てみましょう。「大」の字をロシアが作り、他は日本が建てたものです。 

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館内の案内図です。白線がしっかり見るコース、青線が時間のない方用コース、オマケにトイレまでしっかりと示す親切さです。 

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では入ってみましょう。本館を抜け監獄敷地内に入りました。白線の通りに進んでみます。 

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監獄全体の模型が置いてありました。 

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監獄の拡張推移が示されていました。戦争で負けたロシアも拡張計画は持っていたようです。 

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検身室は、収監者の身体検査場ですが、色々と酷い検査をしたようです。 

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ロシア建築部分の雑居房棟です。 

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雑居房の扉です。 

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雑居房が平均で7~8人が収監されていたそうです。中には、桶型のトイレと手桶水だけがあるようです。 

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独房の外壁(灰色レンガ=ロシア建築です)。 

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ちょっと狭い通路に入ります。右は独房棟ですが、左に小部屋がありました。説明には「朝鮮人:安重根拘禁室」。伊藤博文を暗殺した朝鮮独立運動家です。結局、彼はここで死刑となったそうです。 

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独房です。窓は付いているようですが、さすがに環境は良くない感じです(見ているだけで臭ってくる・・・)。 

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看守の休憩室です。「大」の字の重なったところにあるようです。 

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日本時代の監獄歴代所長一覧と最後の所長:長田子仁郎の紹介です。敗戦直前に証拠文書を隠滅、敗戦後2日目に監獄内の反日分子6名の絞殺を指示、最終的にソ連進駐軍に捕まり、撫順戦犯収容所に送られた、とあります。 

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監獄所長室です。意外と狭い? 

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日本の拷問の酷さを生存者の証言として説明しています。 

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拷問室です。黒い人形の箱は、中に押し込めることが出来るのでしょうか?何も見えず、身動き取れないと気が狂いそうですね。 

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修復中の雑居房(日本建築部位)の1Fです。2Fを見ると、冒頭の説明通りに、鉄格子が填っていて、見通しやすくなっていたり、採光できるようになっています。 

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当時の物資や生活用品の展示です。 

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雑居房の2F(日本建築)は天井に明かり採りの窓があります。 

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工場棟です。色々なことを収監者に労働として課していたようです。 

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印刷所があったようです(これは当時の設備をここに展示している)。 

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これはパンチプレス(打ち抜き機)。機械には「大沼製-東京」の文字が。東京にあった大沼鉄工所製造のものだそうです。 

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「大」の字の形をした監獄棟の「大」を下から見たところです。 

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右が工場棟、左に医務棟があります。 

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医務棟は診療施設や薬局が整っていたようです。 

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医務棟の通路です。 

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監獄の塀の角角には、監視台が備わっていました。 

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この小さな建物は絞首刑室です。 

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やはり日本なのか、木造の梁です。 

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死刑を受けた人は、床の下に落ちて見えなくなるようです。右の桶は死刑者を埋葬するためのものです。 

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受刑者が死刑者の埋葬する様子が模型で展示されています。 

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こうやって桶に入れられ、土葬されていたようです。 

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ここは、日露戦争の記録展示室です。日露戦争1900年代当時の武器や写真だけに留まらず、お約束ごとでもある、第二次大戦の反日批評まで展示しています。 

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当時の日本軍の榴弾砲だそうです。 

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日露戦争どころか、第二次大戦記録まで持ち出しています。 

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日本軍の水雷とありました。 

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これは、読むのが面倒ですが、1913年に満鉄社長の松岡洋右が、1911年に亡くなった小村寿太郎の紀念像を建立した際の表敬碑のようです。アメリカのハリマンから満鉄との合併提案に政府が賛成したことに真っ向から拒否した功績を称えたもの、と読めます。 

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これで日露監獄旧跡の見学は終わりです。 

今回は時間も余りなく若干の駆け足でしたので、展示資料などを詳しくは見ませんでした。自分としては、さほどこの監獄の存在を意識していなかったのですが、実際に見てみると満州国建国を固める上で、反日思想犯の存在とその徹底排除があったことを実感しました。日露戦争を学ぶ上では旅順見学はやはり大事、2009年に外人に全面開放し、海軍施設以外はどこでも行くことが出来るようになりました。もし興味がお有りでしたら以下をご覧になればいいでしょう。1)203高地、2)水師営、3)東鶏冠堡塁、4)白玉山、5)日露監獄旧跡、6)旅順博物館、7)関東軍令部旧跡、8)大和ホテル、9)旅順駅。但しそこの展示物の内容が正しいかどうかは分かりません。或いはそこに中国人の思いや主張を見ることも、別の意味での勉強になることでしょう。ちなみに、これら全部に出掛けようと思ったら「大連宿泊ベース」で、実質2泊3日の時間はご用意ください!(旅順に宿泊したら夜がつまらない?(^^; ) 


旅順口区日露監獄博物館
http://jp.visitdl.com/Web/Attraction/Detail-15.htm 

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