消え去った大連の日本家屋-文化街周辺

大連に駐在していた友人は一年ぶりに大連の日本家屋に関する報告の続きを送ってくれました。 今回はその第四段。 文化街周辺を紹介してもらいました。 日本国内で云うと、田園調布か等々力のような街だったのですね。 (写真をクリックすると拡大します)

今回は、3つの地区の最後となる文化街地区です。ここは中山広場からも関東州庁からも遠いのですが、商業の中心地が大連駅前であったことから、多くの民間人が大連駅から南に伸びる解放路沿いに居住していたようです。かつて残存していたのは、八一路に並行した文化街の丘の西側斜面一帯ですが、ここは市政府の土地がかなりを占めるために、再開発は速く進んでおり、当時には、一部でマンション建設が始まっていました。これからご紹介する写真は、2011年1月に撮影したものです。現在は、文化街の家々は既に跡形もなく撤去されています。 

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まず地図を見てみましょう。青色線で囲まれた縦に細長いところで、この真ん中に文化街という通りがあります。解放路の両側は小高い丘です。「解放路」に繋がるのは「八一路」とその名の通り、この一体は人民解放軍(海軍)の土地です。地図の下の方に「人民解放軍遼寧療養院」があります(軍の施設)が、ここは退役した解放軍幹部向けの一種の老人病院であり、隣接した保護地区には、日本家屋を修復した、個室ならぬ一軒家の、療養とは名ばかりの別荘が並んでいます。では、文化街を南(下~上)から上がってみましょう。
 


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この石段は、解放路から文化街に上がる階段ですが、当時のままに残っています。欠け具合が時間を感じさせます。 

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これは、いつも通勤時に気になっていましたが、建物は上から見ると三角形です。昔は警察の派出所だったと地元の方から聞きました。 

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これが上述した解放軍療養院隣接の日本家屋ですが、完全に修復されています。併設された六角塔がお洒落です。 

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これも綺麗に修復されています。恐らく、骨格だけを利用し、新築同様に修復したと思われます。 

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修復したと同時に、文化財指定になっています(門扉の看板にそう書いてある)。 

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修復している家屋は、通り沿いだけでなく、横道が何本も伸びており、それぞれに数軒ずつ建っています。全部で数十軒はありそうです。 

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解放軍療養院隣接の別荘とはいえ、やはり軍施設なので実は撮影不可でした。途中ですれ違った私服の軍人さんに睨まれて怒られましたがめげずに隠し撮りで・・・(出入りが自由というのは不思議)。 

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通りも綺麗になっており、まるで新しい街並みのように作られています。しかし、地図の上では、この通りも文化街です。 

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さて、解放軍療養院内の文化街を出ると、一般市民の文化街になります。これは如何にもアパート、という形をしています。 

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この屋根の作りだけを見れば、日本そのものですね。 

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山小屋風で、斜面にへばり付いている感じです。 

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こんな立派な玄関屋根もありました。
 


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和洋折衷でしょうか?瓦屋根と六角塔の融合? 

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この一体は未だ居住しているようです。所々の家の小さな庭には、年輪を感じさせる樹木が植わっています。 

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文化街の家屋には、こういった柱が立つ玄関口が多い様です。 

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これはちょっと淡い黄色なのですが、目立つ色合いでした。
 


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屋根際に立派な彫り物が施してあります。この家屋の造りは、集合住宅(アパート)な様で、文化街にはアパート風情が多数ありました。冒頭にお話ししたように、ここは民間人ベースなので、企業派遣(独身・単身)や自営さんも多数が大連に来て、この辺に住んでいたそうです。

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今は幼稚園として使われています。作りを見たら、元々は北海道辺りの方が建てたのでしょうか?(サイロに似ている?) 

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ここは斜面の土地ですので、文化街に並行して、2本ほど並行して道があります。下側の道から入る家と高い方の道から入る家があります。この家は高い方の道から入ります。かなり朽ちていますね。 

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この「くの字型」は南山地区にもありました。便利というかお洒落な感じもしますが、今の日本でコレは難しいでしょうね(土地が広くないと・・・)
 


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ここまでは未だ居住者のいる家々でしたが、この進展街から北は、取り壊しは殆ど終わっているようでした。行ってみましょう。 

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家の取り壊しは未だ不完全ですが、住人はいません。右側のはアパートですね。 

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ここでも日本が見られました。鴨居があります。
 


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未だ十分に住めそうです。斜面に建っているので、中に入ったら、段差があるのでしょうか? 

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急と言うほどではないにしても、横浜くらいの坂道でしょうか? 

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この家屋は、上から入って、階段で地下に降りる感じでしょうか?これも2階建てというのかしら? 

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アパートですね。斜面に沿って段々になっているのが面白い。 

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ロシア風情の家屋です。やはりロシア風がお好きな方も居たのでしょう。 

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ところどころの家と家の間に、このような狭い階段があります。瀬戸内にありそうな景色? 

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手入れが良さそうですけど、これも壊される運命に。そう言えば、一軒に煙突が多数立っていますが、暖房用です。煙突の数を数えれば、部屋数が分かります(2階建てなら、x2の部屋がある)。 

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周辺に中国アパートも建っていますが、再開発の波に一斉退去したのでしょう。 

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石や煉瓦作りに見える家屋も、こんなに木材を使っていました。 

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洋館風ですね。がっしりしています。 

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文化街から下に見える街並みです。既に住人は居らず、壊されるのを待つばかり。勿体ないような、、、でも老朽化激しいしなぁ。 

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ここも、アーチ型玄関でした。 

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ミニチュアにして、飾りたくなるような姿です。
 


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文化街の家屋は、屋根付き玄関が多いようです。この辺での流行りだったのでしょう。 

以上は、文化街のご紹介でした。これまで「南山」「高尓基路」と見てきて、それぞれの雰囲気が何となく違っていたようでした。ただ、この「文化街」は殆どが斜面に建っているので、平地の2箇所とは構造的に異なることもあってか、物理的にも印象が違うのでしょう(そう言えば、「庭」のある家は殆どありませんでしたっけ)。冒頭に述べたように、ここ文化街は民間人が主体だったので、豪邸は無いにしても、家屋の大きさは千差万別、こぢんまりとしたのから、総2階のどっしりした家、或いはアパートがあったりと、瓦礫となってしまった中にも生活臭を感じ取りました。朝の通勤時には「おはようございます」と挨拶しながら人々は行き交い、昼時には奥さま方が、どこかの家に集まってお茶会でもしていたのかな?とセピア色の映画のごとくそんな情景が思い浮かびます。家屋を見ただけで、ここが大連の中で一番、日本人の生活を感じられたようです。南山の軍、高尓基路の官、文化街の民が皆で、最大時には20万人が協力し合って住んでいたことに想い馳せれば、日本人ってなんて凄いんだと思うと同時に、何故、ここに20万人も住まなければならなかったのか?と改めて考えさせられます。とは言え、台湾もそうでしたが、日本人がしっかりと統治したところは、金銭価値では計れない何か(交通、上下水道、治安、衛生)を多数残していったことは立派だと言って良いでしょう。更には、日本家屋に住んでいる中国人の中には、いくら老朽化したと言っても、未だ出たくないと言うのも多数居るそうです。作りがしっかりしていること(直せば未だ未だ使える)、合理的な設計(風通し、暖房、使いやすい間取りなど)で過ごしやすいこと、お洒落なデザイン(中国マンションに味わいはない)などが理由だそうです。よその土地を占領することはもうありませんが、しかし、その地で何かをしている限りは、その土地に感謝し、そこに役立つ「良い日本」を置いてくることは大事だな、と思った次第です。例え、反日を以てそういうことを包み隠し或いは欺瞞を以て人民に一切知らせないような国家だとしても、お隣さんになる人々の心には何かが残るだろうなと。 


「大連の消えゆく日本家屋」のシリーズ


はじめに
http://ja1uoa1951.at.webry.info/201102/article_3.html

南山路周辺
http://ja1uoa1951.at.webry.info/201103/article_2.html

高尓基路周辺
http://ja1uoa1951.at.webry.info/201205/article_4.html

文化街周辺
http://ja1uoa1951.at.webry.info/201205/article_5.html

大連市内
http://ja1uoa1951.at.webry.info/201205/article_6.html 

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